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2019年03月19日

編集後記 『こみゅにてぃ』104号

 戦後、安部公房や三島由紀夫の小説を翻訳し、日本文学を世界に紹介したドナルド・キーン氏が九十六年の天寿を全うし、先月亡くなられた。
 氏は晩年、日本人のノーベル文学賞候補者の推薦を、アカデミーから依頼されたことがあると明かしている。おそらく一九六三年ころのことだろう。
 世界的評価でいえば三島由紀夫が最有力だが、日本は長幼の序を重んじる国で、彼が授与された場合多くの日本人は違和感を覚えるだろうと、谷崎潤一郎を推したようである。だが谷崎は六五年に他界し、川端康成が日本人初の受賞者となったのは六八年だった。
 生きていればいつか授与されたであろう三島は七〇年に自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決し、川端は七二年に自死した。
 その後、九四年に大江健三郎が日本人ふたり目の受賞者となるが、それ以前、一部では中上健次の名が取り沙汰されていたようだ。高山文彦の「エレクトラ」を読むと、中上自身かなりノーベル賞を意識していたらしい逸話が書かれている。その中上は九二年、四十六歳の若さで不帰の客となる。
 この数年、今年こそはと村上春樹の名が挙げられ、ハルキストと呼ばれる人たちはそれを待ち望んでいるようだが、その栄誉と権威の影に、人を惑わす、死神にも似た魔物が潜んでいると感じるのは、ぼく独りだろうか。
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2018年11月01日

老年の時代

 本誌前号に掲載された尾高修也先生の「長命という問題」を読んで、老年の文学についてふと思ったことがぼくにはある。そのことは最後に書くことにするが、確かに今の日本は長命の時代というにふさわしい。
 昨年は佐藤愛子さんの「九十歳、何がめでたい」が、今年は下重暁子さんの「極上の孤独」が話題を呼んでいるようだ。先日同人の飲み会で先生とそんな話をしたが、話題は自然と瀬戸内寂聴さんのことになった。生きのいい老女なら彼女をさしおいては話にならないわけだ。デビュー間もない瀬戸内さんが「花芯」を書いて、しばらく文壇から干されたという昔話がでた。
「あの時代ですからねえ、相当風当たりは強かったと思いますよ」
 先生は同情する口調だった。
 瀬戸内さんの小説をほとんど読んでいなかったぼくは、その問題作「花芯」と、数年後に書かれ女流文学賞を受賞された「夏の終わり」をはじめとする私小説ふうの連作短篇を読んでみた。
 瀬戸内さんが子宮作家と揶揄されることになった「花芯」は、挑戦的ではあるが、決して読者に不快を感じさせる作品ではなかった。
「終戦の翌年、数え年二十で」「もうその頃でも骨董品じみた」親の決めたいいなずけの雨宮と園子は結婚し、二人には誠という子どももできる。「妻として、一応及第点はとっていた」園子だが、時折訪れる妹の蓉子には「へええ、化けたもんだわね。でも、どうかな、いつまで続くかな、このお芝居」などとからかわれたりする。雨宮の転勤で京都に移り住むことになった園子は、蓉子が予言するようにそこで出会う越智という男に心を奪われていく。越智は雨宮の職場の上役だが独身で、実は園子たちが暮らすアパートの家主である北林未亡人の情夫だった。北林家は「苔の見事な、広い庭が続いている」豪壮な屋敷で、越智はその敷地の中にある離れの洋館に住んでいる。夫の雨宮は週のうちの半分は接待で帰宅が遅い。園子は子どもを寝かしつけると北林未亡人のいる母屋へ招かれ、越智と北林未亡人と庭番の男の四人で麻雀を打つようなことが多くなる。北林未亡人は初めから園子に自分と似た資質を見抜いて親近感を持っているが、園子は北林未亡人と越智の関係に気づいていない。それは雨宮も同じだったが、あるとき二人の関係を聞き知ると、園子を彼らから引き離そうとする。北林未亡人は、学生時代実家の没落にあった越智を援助したことで、二十以上若い彼を情夫にし、二十年たった今も関係を続けて彼を放さないのだという。子どもたちや一族にも見放され、アパートの住人も皆白眼視しているのに、後から来た雨宮夫婦だけが知らずにいたのだ。
 会えなくなると、園子は越智に対する恋情をさとることになるが、それは身も世もないほどのもので、「じぶんの不安をひとりでもちきれ」なくなった園子は、越智を好きになったと雨宮に告げてしまう。それが二人の間に影を落とし、雨宮は園子に対して暴力を振ったり、「男泣きに泣」いたりする。園子も「ふぬけのように萎え」「窶れて」「神経衰弱」のようになる。
 園子は東京の実家でしばらく病気療養の形をとることになるが、母親の監視のもとでの軟禁状態に近いものだった。母親も妹の蓉子も雨宮の肩を持って園子をなじる。一方で園子の子である「誠を可愛がる蓉子の態度には、不思議な情熱がこもっていた」りする。
 やがて園子は死んだ父親が生前囲っていた友奴という芸者のことを思い出し、彼女を頼る。父親が健在だった女学生時代、園子は友奴の家へこっそり出入りしていたのだ。聖人ぶった自分の母や雨宮の母親を嫌悪する園子は、父の「オメカケ」である友奴にはひかれていたのである。
 友奴が二人の間の連絡係になって、越智が上京するたび、園子と越智は逢瀬を重ねていく。園子はそのうち実家を出、友奴の養女の世話で銀座裏の帽子店で働くようになるが、店のマダムはコールガールの斡旋をするのが本職の女だった。
 この小説は主人公の園子が一人称の「私」で語る書き方になっている。第一章では不良少女のレッテルを貼られた女学生時代の、シニカルでコケティッシュな園子が描かれるが、少し偽悪的なわざとらしさは、作者のこの小説に挑む並々ならぬ覚悟のあらわれなのかもしれない。的確な描写と明敏な洞察に裏打ちされた文章は、見事というほかはない。
 一方終結部は「完璧な娼婦」といういささか観念的な人物造形にこだわったぶん、園子の心情が作者の実感を離れ、観念的な説明になっているきらいがあると思う。この小説の読みどころは中間部の越智と北林未亡人が登場してからの、園子と雨宮を含めた四人を巡る葛藤である。園子の恋と性と愛がかなり生な形で語られるが、そこには偽りのない実感があって、男のぼくをはっとさせるところが随所にあった。四人の登場人物はそれぞれに愚かさと懊悩を抱え、「弱さや優しさ、ずるさ、卑怯さ」を持ちながら、思うにまかせぬ現実の中で、みなそれなり懸命に生きている。直接的にはほとんど描かれていない蓉子が、ある意味したたかな女として不思議な印象を残すのも面白かった。
「夏の終わり」「みれん」「あふれるもの」「花冷え」は登場人物の設定や名前が同じで、時点だけが少しずつずれている。「花芯」の数年後に発表されたものでテーマや人物の関係も似ているが、「花芯」のころの気負いはなく、しなやかな印象が読後に残る。どちらの小説も、主人公の愛情には同情と憐憫が色濃く滲んでいる。それは作者である瀬戸内さん自身の恋愛の癖のようなものかもしれない。愛することで自分の優位性を確認するという、利己的で冷淡な精神構造が含まれていると思うのだが、瀬戸内さんはそれを隠そうとしない。こういう愛し方は、相手の情けなさや醜さを知るたびに深まっていくという側面を持つから、愛想尽かしという終わり方をしない。その恋愛体験が、愛することが人間理解を深め人生を豊かにするという、瀬戸内さんらしい人生観に繋がるのではないだろうか。
 荒っぽい言い方になるが、ケチくさい良識やモラルにとらわれていては懐の深い人間理解はできないし、厚みのある小説は書けない。作家に求められる、作家を支える資質の一つはそういう世間の常識を撥ねのける反骨精神だとぼくは思っている。長い間、文藝ジャーナリズムは若い世代に新しい才能を探し求めてきたのだと思うが、六十年以上前に三十代の瀬戸内さんが書いた「花芯」を読むと、今の時代の同じ世代に、これを超える才能を求めるのは酷な気がする。背景には濃密な人間関係が生まれにくい社会の仕組みや意識の変化があるだろう。表向きは自由を尊重しているようで、実際は禁忌ばかりが増えていく窮屈な社会の中では、自己愛ばかりが過剰に肥大し、他者への興味が薄れていくものなのかもしれない。大人の幼児化という退行現象は、周囲との軋轢を回避するための自己防御ととれなくもない。ふつうに考えて、そういう甘い関係性の中から優れた文学作品が生まれるとは思えない。
 壮年の世代は経済活動を通じて社会と深くかかわっているから、その仕組みに意識までもが縛られがちである。むしろリタイア世代が治外法権的に窮屈な社会から自由になれるし、人生の先行きが見えるぶん、贅肉のような自己愛をそぎ落としやすいかもしれない。これからの時代、本当に読みごたえのある、厚みのある小説は、案外老年の文学の中から現れるのではないかと、ふとぼくは思うのである。
(『こみゅにてぃ』103号「文籠」・2018年11月)

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2018年07月01日

編集後記 『こみゅにてぃ』102号

 尾高先生の連載は、少し変則的になるが九十八号までの『回想的に』の続きということになった。本号では「長命という問題」と題し、マーガレット・ドラブルの「昏い水」を引きながら長命の時代を生きる戸惑いを語られている。
『こみゅにてぃ』には高齢でありながら健筆ぶりを存分に発揮する人もいる一方、久しぶりに新しい若い同人が、二人作品を寄せてくれた。壮健の世代も多忙の中寄稿を続けている。
 先日刊行された『文藝年間2018』(新潮社)の中で、谷村順一氏は「概観二〇一七」の同人雑誌欄を、『こみゅにてぃ』100号に尾高先生が書かれた「百号の希少価値」を引用して結んでいる。同人の皆さんにはもう一度先生の一文を読み返し、同人誌の意味を噛みしめてほしい。
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2018年06月01日

あとがき

 日本の近代文学の青年期を彩る詩人たちの、一篇の詩からヒントを得て短篇小説を書くということをこの数年やってきた。その拙作は私が席を置く小さな同人雑誌に発表してきたが、三年がたって九篇になったので、書下ろしの一篇を加え、「合わせ鏡」という総題をつけて短篇集にすることにした。合わせ鏡というのは女性が髪を結ったとき、襟足を確かめるために使う手鏡のことである。前の鏡には正面の顔と、ふだん眼にすることのない別の角度から見た顔と、ふたつの像が並んで映し出されることになる。
 詩については門外漢でまるで詩心などない私が、なんでこんな仕事を始めたのか今となると自分でも不思議で無茶をしたものだと思うが、詩人たちが選りすぐった言葉を散文に生かすことができないか、というようなことを当初は考えていた。小説を書く上で、自分の持つ貧弱な語彙に限界を感じていたということかもしれない。いくつか自分でルールをつくり、その制約の中で小説を書くことで、短篇小説の修練をしようという意図もあった。
 選んだ詩は、新しいものでも七、八十年前に書かれたものだが、そこで私が眼にした言葉は、今の時代になってもほとんど手垢のついていないものばかりだった。日本人が過去に置いて来てしまったもの、というようなことを私は同時に考えるようになった。その感慨は、この短篇集を通した底流に流れていると思う。

 小説の師である尾高修也先生の知己を得て既に三十六年がたつ。先生は昨年傘寿を迎えられ、私はあと数年で還暦である。地に足の着いた小説の読み方、書き方というものを私は先生から学んだと思っている。先生はまた、二十歳そこそこの洟垂れ小僧だったころからの私を、どこかシニカルな眼で眺めていた人でもある。そういう視線を意識することが、きっと私の成長を支えてきたはずである。
 この作品集を上梓するにあたり、あらためて先生に謝意を表したい。
(『合わせ鏡』あとがき・2018年6月)

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2018年03月01日

編集後記 『こみゅにてぃ』101号

 百号疲れというのがあるのかどうか、「こみゅにてぃ」一〇一号は少し薄くなってしまった。
 昨年十二月の創刊百号記念祝賀会には懐かしい方のお顔もあった。こういう雑誌が百号続くというのはなまなかなことではない。今年で三十七年目に入るが、「こみゅにてぃ」には創刊以来の同人の方が何人かいる。その反面、途中から入ってきた人がなかなか定着しないというのも事実である。同人雑誌に小説を書き続けていくことは、孤独な作業なのだ。
 「水脈 同人誌作家作品選U」がファースワンより刊行された。「こみゅにてぃ」からは四人の方の作品が収録されている。どの作品も雑誌に発表されたままではなく、それなりに手が加えられている。同人の皆さんには是非読んでほしい。
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